これはきれいであれは汚いだの、これは善くてあれは悪いだの区別をしないこと。区別はいらない。
離れているのだ。ものごとは善くも悪くもない。善だの悪だのという性質はあなたによって持ち込まれたものだ。
ものにはきれいも汚いもない。それはただあるがままにそこにあるだけだ。
by osho
↑これを日常の生活の中にそのまま持ち込もうとしても、それは土台無理なことですね。無理して、何かを自分に強いるのはやめることです。
そうではなくて、人知れず自分の中で↑このことを携えて生きていればいいのです。たとえ忘れてしまったとしても、また思い出すことができればいいのです。
「区別をしないこと」と言われて、すぐにそうしなくてはならないと考えるのではなく、自我は区別するものだと認めることが先決なのです。
その上で、自我として生きている自分はそのままにしておいて、ここで言われていることを忘れずにいればいいだけなのです。
この人が好きで、この人は嫌いということを否定せずに、自我として生きている自分は、そのようにして区別することで存続しているのだと理解することです。
それを否定したり、改善しようとすればするほど、それこそが自我の欲望であることに気づくこと。
これは善いことで、あれは悪いことだと思いながらも、一方では本当はそんなのはないのだけれどね、というのを持っていればいいのです。
自我が消えれば、区別も一緒に消え失せると知りつつ、自我として生きている自分を受容するのです。
そして時期が来れば、自我としてのあなたは消えていくことになるだけなのですね。