マインドとノーマインドを同時に生きる

精神は目的なしでは存在できない。だから目的を次から次へとつくっていく。もしいわゆる世俗的な目的がなくなったりしたら、宗教的な目的を、あの世的な目的をつくりだす。

いわゆる競争の世界が、政治の世界が無意味になると、もう一つの世界、新しい競争の世界、宗教の世界での成果が有意義になる。

by osho

↑この精神という言葉は、マインドと言い換えても構いません。つまりマインドは、目的なしでは生きていけないということです。

マインドにとって、無目的であることは無意味であることになるからです。無意味であるとは、無価値を連想させますね。

この一連の無目的、無意味、無価値というのを繰り返し心静かにイメージしてみると、自分の存在理由がなくなってしまうと感じるのです。

自分自身や自分の人生に、どんな意味も価値も見出せないとしたら、多くの人にとっては辛いと感じるはずですね。

けれどもその一方で、真実には目的も意味も価値も、何もないということも直感的に分かります。なぜなら、それらは思考の産物だからです。

マインドとは天国を見たり逆に地獄を味わったりするものであり、それはそういうものなのです。天国も地獄もないのが真実であり、それが私たちの本質です。

思考の世界で生きているマインドの立場と、思考から離れた本質としての自己の両面を同時に生きること。これこそが極意なのです。