思考にはどんな力もない

幼い頃というのは、自分は無力だと感じて惨めになるものです。だからこそ、成長して大人になって無力なんかじゃないということを証明しようとするのです。

それが人生というものです。ところで、「力」というのは一体何を意味するのでしょうか?筋力とか能力、あるいは魅力や意志力などというものがあります。

動物と比較して人間に固有の力は何だろうと考えてみると、意志力が筆頭にあげられます。

意志が強い人がいれば弱い人もいます。我慢強い人は、それだけ意志の力が強いと言えるでしょうね。それに関連して、決断力、行動力なんてのもあります。

ということは、それらはすべて思考からやってくるものですので、結局は思考の力が強いか弱いかということになります。

けれども待ってください。思考にどんな力があるというのでしょう?本当は思考には力などというものはまったくないのです。

今あなたがこのブログの文字を見ているとしたら、そこにはどんな力も作用してはいません。思考は、自分がこのブログを読んでいると解釈するだけ。

思考ができることといえば、起きていることを解釈して説明を付け加えることだけなのです。

思考など使わずとも、このブログの文字を見ることはできるのです。それは自然に起きているのですから。

結果として、思考ででっち上げられた自我(マインド)には、どんな力もないということになるのです。

あなたの中の「私」という自我は、元々「力」とは無縁のものだということです。このことを深く理解するなら、これまであなたがやってきたことに対して、どんな罪も、どんな手柄もなくなってしまうのです。