二元性の背後にあるもの

目標を持って生きなさいと教えられたので、その通りにしてみて分かったのはその目標を達成してもしなくても、満たされることはなかったということ。

猛勉強して第一志望の学校に見事合格したら、その瞬間は嬉しくて堪らない気持ちになるのですが、その先はあっという間に普通になっていきます。

そしてすぐに次なる目標を設定して、そこに向かって頑張るのです。この目標を達成できたら、もう次はやってこないという究極の目標があるかのように信じて。

けれどもそんな目標はないのです。きっと私たちが成功者だと認めるような人であればあるほど、その人の中で密かな苦悩があるはずです。

アップルの社長になったスティーブジョブスは、さぞ満足の行く人生だろうと周囲は思うのですが、当の本人はなぜか「禅」に興味を示したりするのです。

それはこの目標を達成した暁には、真の満足を手に入れられるはずと予想していたのに、何も変わることはなかったと気付いてしまうからです。

これはいわゆる宗教と同じで、功徳を積んでいって究極的には神に到達するという目標があるのですが、功徳を積めば積むほど自我が強くなる。

だからこうした宗教はニセモノなのです。正しさを教える宗教に全く興味がないのはこうした理由があります。

その点、禅は全く違うものですね。目標も正しさもすべては自我のもの。そうした二元性の背後にある真実を見抜くこと。

禅に教えがないのは教えられないからです。教えるものがないからです。独りでそれを見出すしかないのですね。