悪くないだろう

あらゆる家電製品やクルマやどんなものでもそうなのですが、年月の経過とともに老化してあちこち故障し出したりしますね。

人間の身体もそれと全く同じで、最近は歳を重ねるごとにあちこち軋み出したりしていて、この先どうなっていくのだろうと危惧したりします。

飲み会なども行かなくなって人との関わりが極端に減ってしまい、特別行きたいところがあるわけでもなく、毎日淡々とした時間が過ぎていきます。

いよいよつまらない人生になってきたなあと思うマインドもあるのですが、それを逆手にとってやろうとするマインドもあったりします。

外側への興味が薄れてくればそれだけ意識は内側へと向かざるを得ないので、若い頃よりも格段に瞑想には有利になってきたのです。

瞑想的に生きる、意識的に生きる時間を増やしていくまたとないチャンスが高齢者の称号と共にやってきたわけです。

高齢者という言葉の響きはあまり好ましくないですが、無意識的な老人にだけはならないように心がけたいと思っています。

残された時間を何をするかではなくどう在るかにポイントを絞って生きるのも、「悪くないだろう〜」。