覚醒した意識の状態

私たち自我にとって、意識的であり続けるということが如何に難しいことであるか、実践したことのある人には分かるでしょう。

意識を自分に向けていようと試みるも、あっという間にそのことをすっかり忘れて、目の前で起きていることや頭の中にある思考に組み込まれてしまうのです。

本当にそれほど難しいことなのかと疑うなら、一度試してみるといいのです。お風呂に入ってから出るまでの間に、お風呂に入っていること以外のことを考えずにいられるか。

きっとほとんどの人が、身体を洗ったり湯船に浸かりながらも、昨日のことや明日のことなどを考え出すはずです。

なぜそれほどまでに意識的であり続けることが難しいのか?自我の立場に立って考えてみると分かりやすいかもしれません。

自我にとって、十分に意識的であるということは、非常に危険な状態であるということを理解する必要があります。

私たちが意識的である瞬間、過去へも未来へも思考を飛ばすことができなくなり、今この瞬間に留まることになるのです。

そうなると、物語の中にしか棲むことができない自我にとっては、それが続けば死を意味することになるからです。

だから自我にとっては、何かに没頭したり果てしない思考の連鎖の中で無意識になっているのが一番安全なのです。

覚醒した意識というのは、自我ではないということも理解しておくといいと思います。つまり、意識的であることで、これが自分だと思っていた自我が力を失っていくことになるのです。

そりゃあ抵抗されるはずですね。だから何度失敗を繰り返しても構わないのです。そういうものなので。

それでもまた今日も少しでも意識的であろうと努めることは、人生の中で一番意味のあることだとも言えますね。