欲望と受容は反比例

欲望こそが私たち人間(自我)を活性化させる原動力であることは、これまでにも何度も繰り返しこのブログでお伝えしてきました。

このままでは嫌だ、これでは足りないという思いが欲望を生むわけです。お金持ちになりたいと願って頑張るのも欲望です。

何者かになろうとして努力するのも欲望だし、世界でトップになって人から認めてもらいたいというのも欲望です。

欲望と聞くと、あまりいいイメージはありませんが、誤魔化さずに見れば欲望があるおかげで、ハリのある毎日を生きていけるのです。

だから欲望そのものは決して悪いものではないのです。欲望を少し柔らかい表現で言えば、願望とか希望になるわけで、人生には必要なものだと分かります。

ただし、欲望のままに生きてどれほどそれを叶えることができたとしても、その先に待っているのは更なる不満と欠乏感なのです。

そうやって欲望が絶えることがないようにできているのです。それは自我が自爆せずに済むようにということなのですね。

こうしたことを深く理解することができたら、欲望はかえって危険だということが分かるのです。それならどうしたらいいのか?

欲望に肩入れせずに生きるのは、自我にとっては確かに難しいことですが、自我のエネルギーをむしろ受容の方に使うようにすることができたら、様子が変わってくるはずです。

受容するたびに、欲望が小さくなっていくからです。受容は自我とその欲望の両方を同時に静かにさせることができるのです。

自分の生を受容側に持っていくためには、瞑想が効果的だと考えられますし、意識的であることがあなたの受容性に火を点けてくれるかもしれないですね。