思い出の出番がなくなる

人間の脳における記憶システムには二種類があります。一つは一時記憶装置としての海馬であり、もう一つは永久記憶装置としての大脳皮質。

一定期間(3ヶ月程度?)アクセスし続けた情報は、大切な情報として海馬から永久記憶装置の方に送られ、永久に保存されます。

一方、ほとんど使われなかった情報は、不要な情報として扱われてしまうため、海馬から捨てられてしまうのです。

昨日のブログで書いた私の母親の記憶障害は、前者の方。つまり、海馬の周辺における障害であるため、つい今しがたの記憶が曖昧になってしまうのです。

けれども、大脳皮質に仕舞われている記憶は健在なので、そちらの話しをあれこれ振ってあげると、色々思い出してくれるのです。

私を産んだ病院のことだとか、幼児の時に川に落ちて九死に一生を得たことなどをちゃんと覚えてくれています。

今日デイサービスでどんな運動をやってきたかを聞いても、一度も思い出すことができないのに、何十年も昔のことはかなり明確に覚えているのです。

永久記憶装置である大脳皮質に蓄えられた記憶は、思い出として残っているので、それはコミュニケーションツールとして役に立ってくれるのです。

自我としては思い出というのは、かけがえのない大切な情報なのですね。ただし、この思い出の中に入っていくと大抵は無意識状態になってしまうのです。

それはちょうど夢の中のような感じです。もしも本当に意識的であることができるなら、思い出はほとんど出番がなくなってしまうでしょうね。