もしもあなたが末期癌の宣告をされたなら、なんで自分ばかりが…と感じて、その理不尽さを呪うような気持ちになるかもしれません。
親の身になったら、我が子が事故に遭ったり難病になったりしたら、なんでうちの子だけが…と思って、健康な他人の子を恨む気持ちになってもおかしくありません。
私たちのマインドというのは、いつでも自分と他人を比較して一喜一憂しているのです。それが何の足しにもならないと知ってはいても、やめられないのです。
この比較するマインドというのは、元々は自己防衛から来ています。自分を安心させたくて、不安を解消したくて比較してしまうのです。
けれども、その比較癖が高じてしまうと、辛くなるのを知っていながらも他人と比べてしまうということが起きてきます。
究極的には、自分よりもあの人の方が幸せに違いない、あるいはそう見えるときに、辛くなるのですね。
嫉妬心がやってきたり、自己嫌悪になったりして恨むようにもなったりするのです。とても穏やかないい心持ちではいられないのです。
ではどうしたらその比較をやめられるのでしょうか?よ〜く見つめてみると、比較すること自体が問題なのではないと気づきます。
要するに自分よりもあの人の方が幸せだという思いが、嫌な気持ちにさせるわけですから、その思い込みが正しいものかどうかを判断できればいいのです。
私の場合、幸せというのは不幸との比較でしかないと分かっているので、幸不幸には興味を持たないでいられるのです。
その上、本当に満たされたなら、どんな人でもマインドは死刑を宣告されて自我が落ちて覚醒してしまうと分かっています。
だから、地球上の誰がどれほど幸せそうに見えたとしても、その人が個人として生きている限りは、満たされてはいないと分かるのです。
だから嫉妬せずに済むのです。私が本当に羨望するのは覚醒した人だけなのですが、覚醒しているその人はもう個人ではないので、やはり嫉妬することはできないのです。
マインド(自我)の存続のカラクリを理解すれば、自分と誰かを比較したとしても、それほど辛い気持ちにはならずに済むことを知ってくださいね。