生と死を一つものとしてみる

私たちは誰でも、死に対して恐怖心を抱いて生きています。そのために、日頃から死と向き合うということを避けているのです。

苦しみが続くくらいなら、死んだほうがましだと思っている人も多くいるのでしょうけれど、それも実は死を直視していないために、そのように感じるとも言えます。

なぜなら、苦しみの本質とは、死への恐怖から逃避しようとして発生するものだからです。私たちは恐いから直視しないと思っていますが、直視しないために必要以上の恐怖を持ち続けるとも言えるのです。

死をいつも身近に感じつつ、人生を生きれば、生そのものに対する意識も変化するのです。それは、暗闇を知っているからこそ、光のすばらしさを感じられるのと同じです。

生と死をバラバラにしてしまうこと、つまり生だけを見て死から目を逸らすというのは、都合の悪いものを否定して、なかったことにするエゴのご都合主義です。

考えてもみてください。人物としての自分がこの先ずっと死なないでいるとしたら、それこそ不気味なことになってしまいます。

この現象界という世界の秀逸なところは、自分も含めてあらゆるものが必ず滅びることになっているということです。

不変でいられるものは、この世界には何もありません。すべてが死と隣り合わせになっているのです。それがある種の魅力にもなっていると思うのです。

死への恐怖は、すばらしいことに死そのものによって消えてしまうのです。恐怖というのは、それと完全に一つになることによって、消滅するということです。

生と死の間を行ったり来たりすることができるのは、私たちの本質である純粋な意識が厳然として在るからでもありますね。