未来というすばらしい贈り物

私にとって、この2012年という年は、何となく「終わっていく」年なのかなという感じがしています。それがマヤ暦の最後の年であるということと、関係があるのかどうかは分かりませんが…。

何かが始まれば、いずれは終わるのですが、終わるということは、何かの始まりでもあるのですから、今年は「始まる」年であるとも言えます。

こうしたことは、何にでも当てはまりますね。人との出会いがあれば別れがあり、また別れがあれば新しい出会いが訪れるのです。

生まれたものは死に、その死によってまた新たな生が芽生えることになるのです。こうして、物事は連綿として続いていくだけです。

本当はただそれだけなのに、私たちは自分に都合のいいものを喪失することを受け入れられずに、そうした変化を恐れてしまうことになりがちです。

そこにこそ、過去への執着と同時に未来への不安に縛られてしまう危険が横たわっているのです。それが葛藤を作り出し、苦悩の中に閉じ込められてしまう原因となるのです。

私の場合、来年から自分が何をしていくことになるのか、今のところさっぱり分からない状態でいます。ともすると、不安に巻き込まれそうになることもあります。

そのときに、不安は不安としてしっかり逃げずに見つめてあげることが大切です。不安と一つになると、不安は消えてしまうからです。

そうすると、終わっていくことに感謝しながらも、これから始まることをすばらしいプレゼントして、歓迎するという気持ちになれるのです。

ホラティウスの言葉で次のようなものがあります。いつも心に留めておきたいですね。

『未来がどうなるか、あれこれと詮索するのをやめよ。 そして、時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ。』