内側の種を見ること、中の自分を見ること

確か、osho の言葉だったと思いますが…

文中の次の言葉に惹かれます。

「この存在は、あなたを通してある運命を成就しようとしている。」

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毎日、 起きては働きに出かけ、わずかの金を稼ぎ、夜には眠り、夢を見る。
朝になるとまた、車輪は回り続け、しかもどこにも到達しない。
最後には死だ。
それなら、なぜ待つ。
なぜこの無意味なことを抹殺してしまわない。
なぜ自殺しない。
なぜそんな無意味なことのために、それほど心配したり、
負担を感じたり、やたら不安になったり、苦悩したりするのか、と。
これは倫理的な結論だ。

未来を望めば、意味はない、ということを理解することになる。
しかし、もし あなたが、本当に意味を求めているなら、
その方法は、種を見ることだ。
そして、その種とは、今ここだ。
だが思考(マインド)は未来を見たがる。
その方が易しい。
種を見ることは難しい。
それこそがサダナ(修行)のすべてだ。
それこそが骨の折れる努力のすべてだ……種を見ることが。

なぜなら、種を見ようとすれば、
別の質の視力が要ることになるからだ。
第三の目が必要になる。
通常のこの目は、その殻までしか届かないからだ。
だが、不可視のもの、秘められたものは、その中に隠されている。
この目は、深くは届かない。
それほど深くを見ることはできない。

洞察力のある、 今の今、種が何を運んでいるかを
見抜き得るような異なった質の目が必要なのだ。
外側を見たら、見抜けない。
視線は肉体に、種の殻につき当たるからだ。
もし本当に種を見たかったら、内側を見なさい。
そうなれば、もう殻は問題ではなくなる……
内側では、 あなたは種でもあるからだ。

あなたはこの存在に属している。
あなたはそこから生まれて来た。
この存在は、あなたの中にひとつの青写真を持っている。
この存在は、あなたを通してある運命を成就しようとしている。

内側を見なさい。
そうすればもう外の殻など問題ではない。
あなたは既にその中にいるのだ。
これが瞑想の何たるかだ。
内側の種を見ること、中の自分を見ることだ。