政治家に対する気持ち

私は、子供のころから政治家を目指すような人は、信用できないと勝手に思い込んでいました。自分でもなぜだか分からないのに、とにかく政治家の人たちを大人の中では一番信用できない人たちだと決め付けていたのです。

その理由が、つい最近になってはっきりと分かりました。それは、子供心にも本音を決して言わない人たちだということに気づいていたからです。

そのせいにするのは、いささか気が引けるのですが、ずっと長い間政治というものに興味を示すこともできずにきてしまいました。

信用できない人たちがうじゃうじゃいる政界というものが、自分にとってはもっとも遠い世界に違いないと感じていたのも事実です。

なぜ政治家は、特別な言葉づかいをするのでしょうか?それは、国を背負って立つ立場だから、友達に話かけるように話すことは難しいだろうと誰でもが思うわけです。

だから、「誠に遺憾に思います…」とか、「真摯に受け止めて…」、「毅然とした態度で…」などのいかにも公式の言い方をするのでしょう。それも分からなくはありません。

けれども、最近橋下大阪市長の発言を聞いていて、この人の言葉づかいには、違和感を感じないということに気づいたのです。ごく普通の言葉で、物事を表現してくれるので、とても聞きやすいのです。

誰かが、理不尽なことを言えば、「それ、おかしいでしょう!」と何のてらいもなく言ってくれます。「遺憾に思う」などといういかにも隙を見せないような表現を使わないのです。

自分が長い間持ち続けてきた、政治家全般に対するあの気持ち悪さをまったく感じなくて済むのですから、一気にファンになってしまいました。

従来の政治家さんとの根本的な違いは何なのでしょうか?それは、言葉づかいや表現の違いだけではないはずです。もっとも本質的な違いは、自己防衛の大きさなのだと思うのです。

誰からもなるべく非難されないようにと配慮すると、堅苦しいうわべだけの表現方法になってしまうのです。橋下市長のあの自然体は、自分を守ろうとしない心の表れなのでしょうね。

昔から、私利私欲に走らないすばらしい人は、たくさんいます。けれども、それに加えて頭脳明晰であって、なおかつ実行力が伴う三拍子揃った人は、そうそういないものです。

彼は、その三つともが揃っている類まれな人物ですね。日本が大きな変換点に差し掛かっている今、彼のような稀有な存在が現れてきたことは、必然なのかもしれません。