興味をもって、歴史を学ぶ その2

子供の頃、父親と戦争の話しをしていたときに、もしも第三次世界大戦が起きて、戦争に借り出されることがあったとしても、自分は「たとえ投獄されても兵士になることを拒絶する。」と言ったことを覚えています。

自分が受けた教育のせいなのか、あるいは他の何かの要因があったのかは分かりませんが、とにかく戦争を忌み嫌うだけでなく、国のために自分の命をかけて相手国の兵士を殺すのを断固拒否するという気持ちだったのです。

そうした感覚というのは、今にいたるまでずっと継続して持っているものです。自分には、国家というものに対する特別な思いが希薄なのです。

けれども、現実をよくよく見てみれば、今のところ国家の存続がなければ自分の家族や親しい人たちの安全もありません。

誰だって争いごとは好きではないですが、それでも大切な人の命が危ないと分かれば、身を挺してでもその人を守ろうとするはずです。

戦争はいやだというのは簡単ですが、自分の家族が他国に拉致されて連れて行かれたとしたら、それを黙って許すわけにはいかないのは当然です。

ほんの少しだけでも、日本の戦前の歴史を紐解くだけで、日本が他国の侵略を目的で戦争したことは一度もなかったということが分かります。

その逆です。白人からは人間扱いされていない黄色人種の代表として、アジア諸国を欧米の魔の手から守ろうとしたのです。

つまり日本の戦争の歴史とは、その頃世界の常識であった白人の植民地計画に対する断固とした抵抗だったということです。

どんな目的であれ、人が人を殺すことを正当化するものではありませんが、誰かを守るためには戦う必要があるというのが、今の人類のレベルなのです。

そのことから目を背けて、ただ戦争反対を唱えていた自分の考えの浅さにようやく気づくことが少しだけできたようです。