マインドを磨いても光にはなれない

私の周りには、真面目な考え方の人たちが沢山いらっしゃいます。少しでも今の自分に比べて、より良い自分になりたいと考えている人たちです。

それを向上心と呼べばいいのかは分かりませんが、自己否定している部分をなくしてもっとましな自分になりたいと常に思っているのです。

精神世界的な言い方を使えば、自分のマインドを磨いて、暗くくすんだ部分を光に変えていこうとするわけです。

けれども、マインドはどこまで行ってもマインドなのです。ニワトリが頑張ったら鷲になれるわけではありません。

マインドの正体とは、疑念であり、あらゆる対象に対して信じるか信じないかのどちらかであるということです。そこには本質的な信頼はあり得ないのです。

マインドを向上させて恐怖から愛へ変遷させようとすることこそが、マインドそのものの罠であることに気づかなければなりません。

マインドを磨いた先に、光り輝く愛に満ちたマインドになるということが待っているわけではないということです。

真実を垣間見る経験をしたことのある人であれば分かるはずですが、それは突然やってくるものであり、その体験をしている自分は今までの自分ではないのです。

それは明らかに不連続な体験なのです。努力した結果であったり、修行をした成果としてそれがやってくるのではないことは明らかです。

マインドが愛で満ちることはないのですが、さりとてマインドを否定する必要もありません。それはどこまでいってもそれであり、それとは別次元として真実はいつもここにあるのですから。