諸行無常を支えるものに気づく

毎年毎年、その年の初めになると、多かれ少なかれ「今年こそは…」という期待に胸を膨らませるのですが、結果としては期待通りのことがやってきたり、こなかったりしますね。

どちらにしても、物事は一瞬たりとも止まっていることができません。私たちは、常に変化の中に晒されているわけです。そのことを、諸行無常などと言いますね。

辞書によれば、『この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。』とあります。

これを違う言葉で、『時間』というのです。時間と変化は、一つものです。時間があるから、変化が起きるとも言えるし、変化がなければ時間は存在できないのです。

けれども、決して変化することのないものが在るのです。どれほどの壮大な時空をかけた物語の映画であったとしても、決して変化しないものが一つだけあります。

それが、その映画を映し出すスクリーンですね。スクリーンは映画の中には決して発見することができないのですが、常にその映画を支えているのです。

そこにどんな物語が繰り広げられようと、永遠にそれが存在することを許しているのがスクリーンなのです。それとまったく同じことが私たちのこの世界についても言えるのです。

時がどれほど経って、どんな変化が起きようと、それを永遠に可能にしてくれているもの、それが真実です。私たちの本質は、時空が起きるその前提なのです。

この世界を肉体の目で見ている限り、諸行無常しか見ることはできませんが、純粋な意識だけで全体性を見るとき、そこにこの世界のスクリーンである永遠性を見出すことができるのです。

あなたは、もうすでにずっと前から自分の本質に気づいているのですが、それを一瞬見ただけですぐにこの世界で起きつつあるもののほうへと意識を向けてしまうだけです。

集中せずに、肉体の目で一点をただ見ているうちに、自分が何をしているのか曖昧になると同時に、意識の目で全体性を見ていることに気づくはずです。スクリーンに気づくことです。