欠乏感の餌食にならない

以前何かのテレビ番組で観たのですが、ある赤ちゃんが、あの可愛らしい小さな手に何かを握りしめた状態で生まれてきたという、不思議話について放送していました。

それが本当かウソかは分かりませんが、一般的にはどの赤ちゃんも丸裸で、手には何も持たずに生まれてきます。つまり、ゼロスタートなわけです。そういう意味では、誰もが平等ですね。

だからこそ、私たちは足りないものを手に入れることで、心を満たそうとするようになったのです。足りないという欠乏感は、とても大きくて常に私たちを駆り立てています。

ブランドもののバッグが欲しい、素敵な洋服が欲しい、かっこいいクルマが欲しい、希望の学校に入りたい、一流企業に入社したい、理想のパートナーと巡り合いたい、快適な住まいを持ちたい、等々です。

本当に欲しいものが手に入ったときの喜びは、忘れられないですね。ところが、これまでの人生で何を手に入れられたとしても、まだ足りないという感覚は残っているはずです。

それは、ある程度の期間はごまかすことができたとしても、いずれは露呈してきます。あきらめの悪い人は、人生の最期までいずれは満足できるはずだと頑張るのです。

けれども、ほとんどの人が気づいてしまうはずです。何を手に入れたとしても、心から満たされることはないのだと。これは、とても残念なことですね。

一体なぜ結局は満たされないかというと、一番最初の時点で間違っているからです。生まれたときに、ゼロスタートなどしていないのです。

それは単に肉体が生まれたという、一つの現象が起きたというだけなのです。それなのに、私たちはその肉体を自分自身だと錯覚させられてしまったがために、欠乏感の餌食になってしまったのです。

本質に目覚めれば、その全体性に気づくことになれば、足りないということが不可能だと分かるのです。本質は、増えることも減ることもできません。

この人生は、足りないものを補うためにあるのではなく、そのことに気づくためにあるのだと思うのです。どうせ気づくのですから、早く気づいたほうがいいですよね。