この世界を司っている「舞台」とは

沢山のクライアントさんの中には、たまに舞台俳優をされている方がいらっしゃいます。舞台の上に立ち、大勢の観客の前で劇を演じるのは、とても魅力的なことでしょうね。

私は小学校を卒業するときに、謝恩会というのがあって、そこで友達と二人で自作の西部劇ふうコントをやったのですが、とても楽しかったのを覚えています。

ところで、私たちは役者さんたちが演じる役柄に、自分たちの人生を重ねてみることで感情移入するのですね。そうやって、物語の中に入り込んで、ひと時を楽しむことができるのです。

つまり、役者さんが演じる人生は、私たち自身の人生であり、その劇の舞台装置というのは、私たちの人生を取り囲むこの世界だとも言えるわけです。

そしてそこには、役者さんと舞台装置をいつどんなときにも支えてくれる「舞台」があることを忘れてはなりません。ただし、演劇を見ている観客は、舞台そのものを意識することは通常ありません。

劇に夢中になればなるほど、舞台そのものは全く意識から外れてしまいます。逆に、舞台そのものを思い出すようでは、すぐれた劇とは言えないでしょうね。

私たちのこの生身の人生においても同じことが言えるのです。私たちのこの人生において、「舞台」に対応するものとはいったい何でしょうか?

残念ながら、人生という物語の中に100%組み込まれている限りは、それに気づくことができません。それは、肉体の眼で見つけることができないからです。

でもそれは、確かに在るのです。思考に巻き込まれていることに気づいて、そこから静かに今この瞬間を感じることができるとき、それこそが真実という「舞台」なのだと分かるのです。

この宇宙に遍在して、この宇宙を宇宙たらしめてくれている「舞台」、それこそが私たちの本質である真実なのです。あなたには、それが見えますか?今見えなくても構いません。

いずれは、見る(直接体験する)ことになるのですから。なぜなら、それはあなた自身だからです。