物語は思考の中にしか在り得ない

私たちは、物語が大好きなのです。その証拠にお金を払ってでも映画を観に行ったり、DVDを借りてきて見たりするのですから。テレビが大好きという人も沢山いますね。

物語というのは、時間の流れと共にストーリーが展開されます。そこに、自分の人生という物語を重ねて見ることによって、より一層その物語に現実味が帯びてきて、釘付けにされたりするのです。

作り物の物語であっても、本当にあった物語であっても、それを疑似体験することで、普段の生活以上の感情が出てきて、深く感動したり悲しみの涙に濡れたりできるのです。

ところで、物語を物語たらしめているものは何でしょうか?それはあなたの心の中に発生する思考です。思考が物語を生み出し、思考が物語を展開させ、思考が物語を継続させるのです。

どんなにすばらしい物語であろうとも、ひどく悲惨でむごたらしい物語であろうとも、一たび思考を停止させてしまえば、そこには物語が在り続けることはできないのです。

つまり、どんな物語もあなたの思考の中でしか、生き延びることができないということです。このことは、何度繰り返してでも腹の底から分かって欲しいことなのです。

なぜなら、これこそが最大の救いだからです。もしも、あなたがこれまで生きてきた自分の人生を思い返して、こんな人生なんてろくでもない、と感じているのなら、それはあなたの思考の中でのことなのです。

思考の中身は事実ではありません。思考の勝手な解釈に基づく物語でしかないからです。あなたが、延々と続けてきた思考をほんの瞬間でも止めることができたら、きっとあなたは心から安堵の時間を感じることができるはずです。

人は大抵そういう経験をしているのです。辛いなあと感じている毎日の中で、あるときふと何だか気持ちが楽になっているという経験をしたことがあるはずです。それは、いつものお決まりの思考から抜けたときなのです。

私たちは、物語が大好き過ぎて、問題が発生すると物語の中でその問題を解決しようとばかり躍起になるのです。でも、いつも思ったように解決できるわけではありませんね。だから苦しむのです。

その習慣を一旦脇に置いて、困った問題が目の前に現れたときに、思考を鎮静化させてみるのです。そうすると、問題は解決されるのではなくて、問題が物語と共に消えてしまうのです。

これ以上の救いは他にはありません。そしてさらに、本当に物語とは思考なのだということに気づいていられると、自分の人生を物語の一つとして捉えることができるようになるため、何が起きても深刻になることがなくなるのです。