全体性を見る眼

自分の本質への気づきがやってきても、毎日の生活が一変するというわけではありませんし、突然自分が癒されて愛に満ちた人物になってしまうということもありません。

つまり、一般的に私たちが望んでいるようなすばらしい人格の持ち主になるわけではないのです。そうした直接的な変化ではなくて、言ってみれば間接的に人生に影響が出てくるのです。

しかも、その影響というのはとても緩やかで、他人から見たら一体その人は気づき体験をして何が変わったのか分からないかもしれません。

けれども、気づきは人生のあらゆる場面に本質的で継続的な変化をもたらしてくれるのです。その人の内面では、実は計り知れないパラダイムチェンジが起きているのですから。

例えば、気づきへの信頼が増せば増すほど、自分の手柄がなくなっていきます。一生懸命に努力して、何かが成し遂げられたとしても、それが自分という個人の手柄ではなくなってしまうのです。

それは、自分以外の誰かに対しても同じです。嬉しいこと、喜ばしいことは沢山あっても、それが誰かの個人的な手柄のようには見なくなっていくということです。

そして、その逆もあります。自分がこれまでにしてきた間違いや犯した罪に対する罪悪感が薄れてきます。その感覚は、他人に対しても同様にやってきます。

結局、自分や他人という人物が成し遂げた成果に対する手柄感も、誰かが犯した事に対する罪の意識も減ってきてしまうということです。

このように書くと、一見正常な人としてのものを見る目が退化してしまう感じがするかもしれませんが、そうではありません。物事をマクロ的に見る視点ができてくるだけなのです。

それが全体性の眼なのです。