実践して検証あるのみ

このブログやセッションでお伝えしていることは、信じていただいたり納得していただくことが目的ではなく、ただただ各人が実践して検証して欲しいことなのです。

実践せずに情報を入手して満足してしまうことが、一番意味のないことですし、それくらいならはなから興味を持たずに終わってしまう方がまだましかもしれません。

というのも、理解して満足してしまうと、そこにはもう体験を通して検証するチャンスがなくなってしまうからです。それは、本当に残念なことですね。

私の周りにもときどきいらっしゃるのですが、知識が豊富で様々な人たちの多様な意見や考え方を知っていて、それを披露するのですが、ご本人の毎日の実生活には何の役にも立っていないということが透けて見えてしまうのです。

そういう人は、一見すると柔軟に他人の意見を取り入れる姿勢を見せるわりには、それが定着せずにあっちこっちの大勢の良さげな考えの中を右往左往しているだけなのです。

誰の言葉であれ、それを鵜呑みにしたり信じ込んだりしては「いけません」。誰かの言葉づらだけを暗記して、それを持って回っても、それは死んだ言葉になってしまうのがおちです。

信じるよりも疑ってかかるくらいでちょうどいいと思うのです。疑うからこそ実践せずにはいられなくなるのですから。頭から信じてしまうと、実践する必要性を感じられなくなってしまうのです。

「あるべきことに努力する代わりに、たった今どうなっているかに注意を向ける」という言葉を知ったなら、それをすぐにでも実践することです。

つまり、このブログを読んでいるたった今、それを読んでるのは誰なのか、誰がいるのか、あるいはじっと見ているとそこには空虚さだけがあるのか、それを検証するのです。

来る日も来る日も実践して検証することしかありません。この実践とは、何のエネルギーも労力も使わないで行うことができるものなのですから。