一方の極端は他方の極端に移行する

この写真は、スポーツクラブから事務所に戻る途中に、車中から信号待ちをしている隙にシャッターを押したものです。違法とか、そういうのを度外視して危険でした。

走るたびに、左右に揺れるのを見ながらでしたので、車間距離を取って走ったのですが、歩道を歩いている人も驚いて過ぎ去るのを見送っていたくらいです。

きっと、解体業者が建物を解体した後に出るがれきを二度手間になるのを嫌がって、無理やり積んで一度で処理しようとした結果なんでしょうが、あまりに極端過ぎますね。

よく見ていただければある程度分かりますが、トラックの荷台の高さの三倍以上は積んでますね。何事も極端に走ると、いいことはありません。

物事は何であれ、一方の側へ極端に寄ってしまうと、必ずあっという間にもう一方の極端の側へと持っていかれてしまうのです。このトラックであれば、極端に積めばいつかは崩れてしまうことが起きるはずです。

こうしたことは、私たちの生き方にも当てはまるものです。たとえば、根を上げずに頑張って、それが極端までいけば、いつか必ずその反対に身体が動かなくさせられてしまいます。それが、鬱症状ですね。

人に嫌われないようにと極端に頑張ると、どこかで本当の気持ちが爆発してしまうことだってあるでしょう。それはまるで、手の長~いやじろうべいが、左右に大きく揺れてしまうことに似ています。

ただし、極端な生き方でたった一つだけプラスになることがあるのです。それは、真反対の極地へと持っていかれたときに、大切なことへの気づきがやってきてくれるのです。

それでも、その気づきを得るための痛手は相当なものになるでしょうから、お勧めは決していたしません。セッションでの癒しは、そういう野蛮なことをせずに気づきを得るためのものですので、勿論そちらをお勧めします。