義務化する罠

つい最近のことなのですが、どうも左の肩の当たりに鈍い痛みがあって、朝の水泳のときに支障が出てきたのです。以前やった五十肩のように腕が上がらなくなるといった症状とは違うのですが…。

それでも、毎日決まったことなのでルーチンワークのように泳いでいたのですが、さすがに右手だけで水をかくことを繰り返している間に、泳ぐのがいやになってしまいました。

それで、この数日間はスポーツクラブに行ってすぐに、お風呂に直行という生活をしています。それで気づいたのですが、誰もいない広々とした湯船に一人浸かって、久しぶりの温泉気分を味わうことができました。

いつもは、泳いだ後サウナと水風呂に交互に入って、短時間にどれだけ汗をかけるかという勝負でもしているかのようだったのですね。気楽なようでいて、結構勝負をしていたと気づいたのです。

気持ちがいいからと思って、ただ毎日していることが、自分の気づかぬうちにある意味義務化していたということなのでしょうね。

どんなことでも義務化してしまうと、自由な清々しい気持ちがどこかへ行ってしまうはずです。そのことに気づかなかったのは、自分でも驚きでした。

久しぶりのリゾート気分を味わうことができたのも、怪我の功名なのかもしれません。私は、自分の未来がまったく分からない状態で生活しているので、未来に対する義務感はゼロなのです。

けれども、一日のスケジュールくらいは決まっている方がいいとして、知らず知らずのうちに午前中の水泳&サウナをこなすことに、義務感が芽生えていたということですね。

人は計画を立てて、それに従って行動することで安心を得ようとする傾向があるのですが、それと同じことをしていたのかもしれません。この経験のおかげで、たとえ毎朝のことであっても、決めないで出かけてみようと思ったのです。

決めたことをやらねばならないというのは、安心を得ようとしてかえって義務感を生み出し、自分を縛ってしまう結果になるということですね。

あらためて、自分はどんな場合でも、いついかなるときも自由でいられるのだということを再認識することができました。