全体を見る眼

幼いころというのは、とにかく無力で大人に100%依存しなくてはならない状態なので、その依存相手が自分にとって安全なのか危険なのかを見極める必要があるのです。

安全だと判断すれば、とりあえずそのまま安心していればいいし、危険な人だと判断すればできるだけ近寄らないような方策がとれるわけです。

どうにも困ってしまうのは、安全か危険かの判断ができない場合ですね。だから、子供は周りにいる人たちを、どちらかのグループに、強制的に仕分けしてしまうのです。

それが自分の親であろうと、先生であろうと友達であろうとです。けれども、人はそれほど単純な生き物ではありません。機嫌がよければやさしくしてくれるし、不機嫌なときは怒るかもしれないからです。

大人に成長すると、私たちはたとえ好きな人であっても、気に食わない部分を持っていることを知っているし、どれほど嫌いな人であっても優れたところを持っていることもあると分かってきます。

つまり、人を全体として見ることができるようになるのです。どこか相手の一部だけを切り取って評価するのは、得策ではないということに気づくわけですね。

ところが、幼いころの分類ルール(安全と危険)にいつまでも乗っ取られていると、そうした全体として人を見ることができなくなってしまうのです(これは、防衛機制の中の「分裂」と呼ばれるものです)。

そうすると、敬愛していた人のことを突然否定する気持ちになってしまったり、信じていたはずの人を急に信じられなくなったりと、いわゆる反転することが起きてきます。

つまり、どちらかの極端に振れてしまうわけです。また、現実に自分のことを徹底的に否定してくる人が現れると同時に、一方では自分を崇拝して褒め称えてくれる人が出てきたりするのです。

幼いころの「分裂」による見方が、そうした現実を起こすことになってしまうのです。その原動力は恐怖なので、否定する人たちも褒め称える人たちにも愛はありません。

成熟した心は、人に限らず何であろうと全体として捉えることができるのです。あなたの身に起きたどんなことであろうと、人生という全体枠でとらえることができれば、否定的な見方をせずに済むはずです。

全体を見る目を養うことで、多くの問題は問題ではなくなってしまうのです。