自我の正体を暴く

私たちの心の中に棲んでいる自我とは、まことに不思議なものですね。なぜなら、自我とは単なる思考の積み重ねによって出来上がったものだからです。

それなのに、それ自体の存続をかけて一生懸命戦っているのですから。自我にとって、最大の武器は死の恐怖です。もしも、死に対する恐怖がなければ自我は崩壊してしまうはずです。

そのことを説明したいと思います。通常私たちは、死ぬ可能性が高くなればなるほど、それだけ危険を感じるのですが、それが死の恐怖からきていることは明白ですね。

死が怖くなければ、危険などという概念すらなくなってしまうからです。死んだあとには、何の恐怖も感じるはずもないのに、死ぬことが怖いというのは実は不思議な現象だと思いませんか?

それはともかくとして、実は私たちは危険を察知しているときほど、自分の存在をはっきり意識しているのです。確かに自分はいる、その自分の命が危ないと感じれば、当然自分へと意識が向くのです。

それは、そのまま自分が存在するということの証明になると自我は思っているのです。守るべき自分がいるからこその恐怖心だというわけです。

だからこそ、自我を存続させるためには、死への恐怖が絶対的に必要なわけなのです。そして、死を恐れるからこそ自分を防衛しようとするのです。それが自己防衛ですね。

ということは、自我の存続のためには決して自己防衛をやめてはならないということになります。つまり、自我がユートピアを求めることは決してないということです。

自我は、そもそも周りが危険だから自己防衛するのだというように吹き込みますが、実は自我そのものの存続のためにのみ、自己防衛をし続けているということです。自我はそのことをひた隠しにしています。

だから、人類から戦争がなくならないのです。これは、自我の宿命であり、恐怖こそが自我の原動力であるということに気づくべきなのです。

自我は思考を使い、一瞬の安心が得られるということを餌にして、常に私たちを自己防衛の中へと引き込み続けるのです。それが、心の平安からは程遠い苦悩の人生へといざなうのです。

あなたの本質は自我ではありません。自我の正体が暴かれれば、自我は消えていく運命にあるのですが、その時自我の正体を暴こうとするあなたもきっと消えていくはずです。なぜなら、それも自我の一部だからです。