「見る」ことで思考から離れる

意識的であるということは、まさに今この瞬間に注意を向けているということです。それこそが、「見る」ということですね。

厳密に言ってしまえば、1秒前のことであってもそこに意識を向けるなら、それは「見る」ことにはならないのです。

「見る」ことの本質は、過去や未来といった時間的な広がりのないものだからです。時間は必ずそこに思考が介在するからです。

「見る」ことの真髄とは、思考から完全に離れていることなのです。だから「見る」ことは、瞑想と同じだとも言えますね。

瞑想というと、そのための時間を作って、その間は何もせずにただじっとして静かに目を閉じている、そんなイメージがありますね。

けれども、「見る」ことはそんな時間を作る必要すらありません。いつどんなときにでも、その瞬間を「見る」ことは可能だからです。

毎日数時間も瞑想ができる人であっても、「見る」ことはできないかもしれません。なぜなら、瞑想が終わった時に普段の状態に戻ってしまうからです。

瞑想の習慣をつけることも大切ですが、「見る」ことの方がお手軽で、普段の生活の中に組み入れることができるのですから、やらない手はありません。

できてもできなくても、「見る」ことを忘れないことです。時間はかかっても、少しずつなにかが変わってくるのを実感できるときがくるはずです。