自分を強いる代わりに見守ること

世の中には沢山の良さげな教えがありますね。「人のために生きなさい」とか、「人を優先しなさい」等々。

それを教え込まれて、それがいいことだからと信じて、そのように自分を強いるなら、後でとんでもないしっぺ返しがやってくるのです。

ただし、気がついたら人のために生きていたとか、ごく自然に人を優先していた、というのなら問題はありません。

要するに、自分を強いるかどうかが分かれ目なのです。自分を強いると、そこには必ず何らかの自己犠牲が発生します。

その自己犠牲のエネルギーが蓄積すると、いずれはそれが人生を破壊するように働き出すことになってしまうのです。

自分を強いる生き方から離れるなら、人はもっと自然に生きることができるのです。自然とはそういうものです。

今と違う自分になろうとか、もっとできるはずだとか、よりレベルアップした自分にならねばとか、そうした努力はすべて不自然なものだと気づくことです。

私が知っている不自然の極みは、「徳を積む」ように強いること。これは最もエゴが喜びそうなことですね。

自分を強いる代わりに、自分を見守ってあげること。このことをいつも忘れずにいてあげられるなら、どんな努力も必要ないと分かるはずなのです。