多忙でエゴは活気づく

会社員だった頃、とにかく忙しくて毎日深夜に帰宅して、遅い夕食を摂って寝るだけの日々が続き、希望といえば休日を楽しみに待つことでした。

休みになったら、あれもやってこれも済ませて、あの本を読んで、足りないところを勉強して…と、予定を立てておくのです。

ところが、実際の休日となると、予定の一つもできずにただ何もせずにその日を過ごしてしまうのです。

さすがに1週間も休みが取れたら、そんなことはないだろうと思って楽しみにしていると、気がつくと何もせずに連休の最後の日が来てしまうのです。

そんなことばかりが続くと、さすがに休日に期待するのをやめるようになりました。どうせ何もせずに終わるなら、最初から予定などしなければいいのだと。

本当にやりたいことがあれば、かえって忙しい方が、間隙をぬってでもやれるということも学習したのです。

最近では忙しさというものが人生から完全に消え失せてしまって、やるべきことも特にはなく、ほとんど何の予定もなくなってしまいました。

そうなって初めて分かったのですが、暇な状態よりも忙しい方がエゴにとっては都合がいいのですね。

充実するというか、何であれ「やった感」があるからです。今はエゴの充実感よりも、エゴに都合の悪いことの中にいてみるというのを試している日々です。

このブログを書き終わったら、もう何もありません。ただ何もなさの中で寛いでいるのみです。