投影の続きその3

投影の二つ目のパターンとして、周りに起きている事象そのものとして投影するという場合について説明します。

例えば、幼い頃から我慢ばかりさせられるような境遇で生きてきて、悔しくても、憎んでもそれを怒りとして表現することができずに、ずっと耐えて自分を抑えてきたような場合。そのようなケースでは度重なる自己犠牲によって、膨大な怒りが内面に溜まってしまうと考えられます。

そうすると、その怒りがはちきれそうな限界を迎えると、それを何とかして外部へ向かって開放しようとします。その時に、開放するためのきっかけとなるものを投影として外側に作り出すのです。 作り出すというよりは起こすと表現したほうがいいかもしれません。

本人にとって一番腹が立つような現実を投影として引き起こすのです。例えば、認められたい一心で人一倍頑張って仕事の成果をあげたはずなのに、どういうわけか上司には全く評価されないことが起きたり、あるいは最愛のパートナーに裏切られたりといったことです。

溜め込んだ怒りがそれほど大きなものでない場合でも、様々な投影による腹立たしい出来事が起こってきます。それこそ、店員さんの態度が悪かったり、理不尽な思いをするようなあらゆる出来事も、投影によって文句を言える状態にするための作戦なのです。

このような場合に、ただむかつく事態に遭遇してしまったとして、怒りを表現して相手を責めることばかりを続けていても何も解決しないのは当然ですね。自分の中の怒りが原因となって、それを投影することで腹立たしい事象が結果として表れているだけなのですから。

何でこんなことばかりに自分は巻き込まれてしまうのだろうとか、どこの職場に行っても似たようなことで辛くなるとか、自分の人生に共通するパターンが見つかったら、それは紛れもない投影の結果ですし、それを直視することで自分の内奥に潜む問題点が浮かび上がってきます。

その他の投影のパターンについてはまた続きとして書くことにします。