無防備になる その2

他にも無防備になる方法はいくらでもあります。例えば、自分が苦手なことを逃げずにやるなどです。あがり症で人前で話しをするのが怖いという人は、人前で失敗を怖れていて極度の緊張をしてしまうため、余計にうまく話しができなくなってしまうのです。

この失敗を怖れるというのは、自分への評価が下がることを怖れているのであって、つまり自分を防衛しようとしているということです。無防備になるとは、失敗してもいいやと腹を据えるということです。

そうすると、結果として緊張が解けて失敗することが減ってくることになり、平常心で人前でお話しができるように少しずつなっていくのです。

出来る限り無防備になって生きることのメリットは計り知れません。無防備でいられる人はカリカリせずに穏やかな心でいられます。無防備でいられる人は、不安な気持ちの虜になったりせずに、この瞬間をただ楽しむことができます。

無防備でいられる人は、未来のことを思い憂うことをしません。自分の心を予期不安から離していることができるからです。結果として、リスク回避に今日生きるエネルギーを費やすことをしなくなります。

無防備でいられる人は、攻撃されることがなくなってきます。攻撃されないと分かれば誰だって無防備になれるよと思いますよね。つまり、攻撃されないという原因に対して、無防備になるという結果がついてくると通常考えているのです。

しかし、これが実は逆なのです。無防備でいるという原因に対して、攻撃を受けないという結果がついてくるのです。なぜそんなことが言えるのか、説明をしたいと思います。

説明するに当たって、二つの言葉を使います。一つは、エゴ、もう一つは投影です。
エゴというのは、日本語では自我のことです。でも自我というと、我々が教育を受けてきた先入観が入りやすくなってしまうので、エゴという言葉の方を用いることにします。

エゴは自分を守る役目をしている心の部分です。幼少の頃に、心の成長と共に自分の身は自分で守ろうという小さな意識が芽生えます。これがエゴの誕生だと思えばいいです。生まれたばかりのエゴはまだ充分には自分を守ることはできませんが、心の成長に伴って、エゴの部分も大人になっていきます。

その結果、精神的な自立によって一国一城の主にまで成長していくわけです。それを支えてくれるのがエゴですね。エゴは頼もしい味方と思えるかもしれません。立派な自分を作っていくためには欠かせないものですから。

自分を守るために生まれたエゴは、成長するに従い、エゴの防衛システムなるものを構築していくのです。相手に責められてもナニクソと反撃したり、逆に相手をぎゃふんと言わせるだけの力を身につけたり、こうしたものは全部エゴの防衛システムのおかげなのです。

しかし、エゴの立場になって考えてみると、自分を守るのが目的で生きているわけですから、もしも守る必要がなくなってしまったら、自分の存在理由が消滅してしまうのです。これは、かなり困った事態だと類推できませんか?

その時エゴはどうすると思いますか?投影を使うのです。エゴは自分の身を守らねばならないような現実を投影として作り出すという作戦をとるのです。つまり、防衛し続けるために攻撃を受けるという事態を引き起こすのです。

だから、無防備になる、つまりエゴの防衛システムを使わないようにしてしまえば、エゴも投影することができなくなり、攻撃されるという事態がなくなっていくというわけです。エゴのやってきたことは、ウルトラマンを活躍させ続けるために、裏で手を回して毎週怖そうな怪獣を送りこませているようなことなのです。

ウルトラマンのあの英雄的姿も、怪獣が一匹もいなくなってしまったら、もう見ることもできなくなってしまうのです。こういうのを本末転倒というのですね。だから、攻撃されたくないのであれば、無防備を心がけることです。