数の役目 その2

昨日は、数えられないものにこそ、真の価値があるというお話をしました。今日はその数えられないものについて、もう少し深く見てみることにします。

数を使って数えることができないということは、数の概念を超越していると考えることもできますね。例えば、全体とか全て、と言う概念はその一つであるといえます。全ての自然数といった場合、1,2,3…と無限に続く自然数の集合を指すわけです。

無限個の自然数を数えることは不可能ですから、これは確実に数の概念を超越していると言えます。これに対して、間違いやすいものとして、唯一とか唯一無二と言う表現があります。この場合には、二つ目がないよと強調しているだけで、一つと数えることができますので、これは数を超越してるとは言えません。

そういう意味からすると、世の中にたった一つしかないから価値があるという言い方は真実ではないということになりますね。どんなに希少であろうとも、数えられるのですから、真に価値があるということにはなりません。

しかし、現実の私たちは、この希少価値というものに翻弄されていることに気づいています。例えば一番というものにも価値があると感じていますし、あなたはこの世の中にたった一人しかいないのだから、価値があるのですと言ってみたりしています。

こういったことも数のトリックに騙されているということになりますね。逆に数が多いことに価値を置く場合もあります。ある物事を選択する際に、多数決というのをよく使いますね。これなどはその典型的な例ではないでしょうか?これも数えられるわけですから、真の価値はありません。

話を全体とか全てに戻します。この世のすべて、一切合財と言った場合には、ありとあらゆるものが含まれます。含まれないものは一つもないというのが、全体という意味です。この概念を私たちが知っている言葉で置き換えるとすると、それは神ということになるのではないかと思います。

神という言葉の響きは、なかなか微妙なものがあります。私自身、何となく宗教的な色合いを持った言葉のように感じていますので、普段あまり使わない単語かもしれません。それを承知で敢えて使いますが、神は全体なので、数えるというレベルを完全に超越しています。

命とか愛といった想念も数える対象ではありませんので、神と同様に真に価値のあるものだと言えると思います。私たちの意識を向ける対象を、できるだけ数えられるものから、数えられないものに変えていくことができたら、人生が全く変わったものになっていくのではないでしょうか。

そうやって数がその役目を終える時、私たちは本当の幸せというものを手に入れることができるのかもしれません。