数の役目

相当に大昔から、人は数というのを使って生活していたのでしょうね。数があるおかげで、今の文明が発達したわけですから、数というのはとても大切なものと言ってもいいでしょう。

数がなければ、人類は月に行くこともできなかったし、クルマも飛行機もコンピューターも作れませんでした。数という概念を見出したおかげで、人類は他の動物と一線を画す生き物になれたのだと思います。

私たちは数を使って比較する癖が付いてしまっています。大小、高低、早い遅い、重い軽い、寒暖、長短、明暗、濃淡、厚い薄い、深い浅い、太い細い、多い少ない、こういった比較は、数がなければアバウトな表現しかできませんが、数があるおかげで明確に表現できるわけですね。

しかし、数は人類を幸せにすることはできたでしょうか?明確に比較することで私たちはかえって苦悩することを覚えてしまいました。あの人より、私の方がウエストが1cm太いとか、友達は90点だったのに、私は85点だったとか。本質的にはどうでもいいような差異が、数で表現されるとはっきりするために、そこに大きな意味を見出してしまうのです。

以前、こういう質問をされたことがあります。

「線路を電車が暴走していて止めることができない。もう少し先に行くと線路が二股に分かれていて、一方の線路上に一人、もう一方の線路上に五人、人が縛り付けられている。今のポイントの状態では、放っておくと五人の方に電車が行ってしまう。あなただけがポイントを切り替えることができるとしたら、どうしますか?」

つまり、五人が死ぬことになるのか、一人が死ぬことになるのか、自分の判断で決めることができるという状態なわけです。電車が二股を通過する前にポイントを切り替えれば、五人の命を救えるが、一人の命を犠牲にすることになるわけです。

この質問をされて、何の躊躇もなく答えを出せる人は少ないのではないでしょうか?きっとどうしていいか困ってしまうわけです。全くいじわるな質問だと思います。しかし、もし、百人と一人だったらどうでしょうか?千人と一人だったら?

そうすると、きっと一人を犠牲にするほうを選びやすくなると思います。しかし、それはなぜなんでしょうか?ここに数のトリックがあるのです。本来、私たちは人一人の命は地球より重いと知っています。真に価値のあるものは、それを足し算していくことなどできないと分かっているのです。

でも普段私たちは人数を数えることができるので、その論理でもって命の価値も足し算ができると勘違いしてしまうのです。だから、一人の命よりも、5人、百人、千人の命のほうが大切だと錯覚を起こしてしまうのです。

いやな話ですが、実際に一人を殺した殺人者よりも、五人を殺した殺人者の方が罪が重いのですから、国をあげて命の足し算ができると勘違いしてしまっているとも言えるのです。

数では表現できないものがあるのだということを忘れないことです。そして、本当に価値のあるものほど、数では表せないということを覚えておく必要があると思います。だから、そういったものは比較することすら意味を成さないのですね。

真に価値のあるもの、本当に大切なもの、そういったものは数を使って数えたり、足したり引いたりすることは不可能だということです。だとすると、普段我々が数を使って表現できるものは、すべて本質的には価値のない無意味なものだと気づく必要があると思いませんか?