真理こそが、私たちの本質

スピリチュアルな教えの中で、よく聞く言葉としてあるのが、「今ここ」というものですね。「今ここ」における「今」とは時間はないということを指しています。また、「ここ」とは空間はないということです。

つまり、「今ここ」に意識を向けるということは、時空を超えた真実に意識を向けるということに他なりません。実際に、時間と空間というものは、思考が作り出したものです。

私たちはあるものの大きさというのをいつもイメージするし、それがどこにあるのかということも気にかけていますが、それが空間認識です。

けれども、空間を気にしているというのに、実は無限に広い空間を思考でとらえようとすると、それがうまくできないということに気づくことができます。

思考は、空間的な大きさや広さを捉えるときに、初めから有限であるということを前提としているのです。なぜなら、無限とは真理の一つの側面であるため、思考には届かないエリアだからです。

時間についても同じような思考のほころびを見ることができます。私たちは、時間の進行を肌で感じるくらいに身近なものとしているのに、無限に続く時間がどういうものかを把握することができないのです。

時間とは変化を意味しますが、真実とは永続性であって何一つ変化するものはありません。結局、思考では変化しないということを捉えられないために、変化を意味する時間を編み出したのです。

このように考えていくと、完全なる無である真実から流れ出てきたこの現象界を、私たちが思考によって捉えていることは、ごく自然のことだといえます。

その思考の中に、私たちは生きているのです。自分のことを一人の人間だと信じているのは、単なる思考に過ぎません。それはまったくの事実無根です。

心を静かにして、「今ここ」に委ねるとき、突然言葉では表現できない真理に引き合わせられる感覚になります。その真理こそが、私たちの本質なのですね。