本質の自己は何も必要としない

ヒーリング・ミュージックという音楽のジャンルがありますね。それほどは詳しくないのですが、以前自分がヒーリングをするときにクライアントさんにリラックスしていただこうとしてかけていたことがありました。

自分自身も落ち着くことができるし、何だかふわっとしたいい気持ちになれるので、とても重宝していたのを覚えています。今でもとても気に入っている曲があり、それを聞くと心の中で誰かが感動したり泣いたりしてる感じがします。

勿論、人を感動させる音楽というのは、他にもたくさんの種類があることも知っています。どんな音楽であろうと、聞く人が心でどんな反応をするかですべてが決まるのですから、これが一番という普遍的な音楽はありません。

そんな素晴らしい音楽なのですが、実は私は自分の本質に意識を向けるとき、そういったものが一切不要であることに気づいています。たとえば、瞑想するときに瞑想用の音楽はいりません。

自分に境界がなく、全体性であると気づくとき、すばらしい音楽であろうと何であろうとどんなものも必要とはしないということです。それほど、本質というのはシンプルでなおかつ自分に近いものです。

美しい音楽を必要としているのは、やっぱりこの人物としての私なのですね。美しい風景や自然も、あらゆる美しいものを欲しているのは、紛れもないこの私であって、本当の自己ではないのです。

純粋な気づきである本質の自己は、何かを欲するということも何かを意図するということも勿論ありません。だって、なにものでもないのですから。

広くて見晴しのいい部屋が欲しいな~、といっているのは間違いなく快適な暮らしを求めているこの私めです!

「平日の昼間からゴロゴロ、ゴロゴロ、あ~あ、空から宝くじの当たったやつが降ってきたりしないかなあ~。」