期待に応えられないという恐怖

自分はずっと昔から、なんというか人に何かを頼まれることが嫌いという面がありました。今でもそれはそのままに残っているようです。

「○○ちゃん、あれ買ってきて頂戴!」と言われて素直に「うん」と言ったためしがないのではないかと記憶しています。そのくせ、人への頼み事は得意というか大好きで…。

だから、誰かのために率先して何かをやってあげるということも不得意という感覚を持っています。頼まれごとがあると、不思議な億劫感覚がやってくるのです。

面倒くさいの極地というか。そして、それを忘れていつしか安請け合いしてしまうことも多々あるのですが、いざとなると引き受けたことを後悔するのです。

ずいぶんと不親切というか、わがままというのか、その辺は立派なエゴ満載なんだろうなと思っていたのですが、もう少しじっくりと頼まれごとが苦手な心の奥を覗いてみると、意外なことに気づきました。

それは、相手から依頼されたことを期待通りにできなかったらどうしよう?という不安があるということです。うまくできて感謝される喜びよりも、失敗して期待に応えられなかったときの恐怖の方が大きいということですね。

人に感謝されたいという欲求が特別大きいわけではないというのも気づいていましたが、期待を裏切ることの恐れがかなり強いということには、はっきりと気づけていなかったのです。

だから、言い訳になるかもしれませんが、ただ不親切ということではなくて、相手が見込んだだけの能力を自分は発揮できなかったということがバレるのがいやなのだということです。

自分の心の奥を見つめてみることは、いつになっても新しい発見があって、本当に面白いものですね。表層だけを見て、やれ不親切だとか、愛がないとか、薄情だとか安易に決めつけないことですね。

で、最後に残ったのは、どれだけ怖がりなんだろうということです。やっぱり、心の深いところで「いていいかどうか」の自信が薄いのかもしれません。

つまり、存在価値に気づいているかどうかということです。もしも、自分の存在価値にしっかり気づけていないとしても、大丈夫です。それも、人生という物語の一つの側面でしかないのですから。