自分はなんなのか?に目を向ける

クライアントさんのお話しをさまざまにお聞きしていると、この方は一体どのようにして心をやりくりして生きて来られたのだろうかと、本当に大きなため息が出るほどのことがあります。

きっと自分だったら、絶望をとっくに越えてしまって、どうすることもできずに死んでしまうしかなかっただろうと思うのです。それでも、目の前にいらっしゃる方は笑みを浮かべて、ここに座っているんです。

そんな時、通常の心理療法における癒しの方法では、とてもじゃないけれど歯が立たないと感じるのです。いくら、セラピストの理屈を訴えたところで、そんなものは通用しません。

この仕事を始めた頃でしたら、それでも必至にその人の心を癒そうと正攻法でセッションを続けたのですが、それは当然それ以外に方法を知らなかったからです。

けれども、最近では別の方法を知ったので、そういうときにこそそれが生きてくるのです。それは、自分の本質を知るということです。そして、そのことはクライアントさんが絶望していればいるほど、ある意味効果があるのです。

人は、本当に困り果てたとき、自分がずっと培ってきた常識や信念、正しさなどを比較的簡単に手放して、新しい心理的なパラダイムを受け入れ易くなるのですね。

自己の本質とは、それまで当り前だと思っていた考え方や、事実だと思っていたことを一旦白紙に戻し、思考も知覚も使わなくしたところで、自然と気づくものです。

人は、ずっと身近にあった自分の本当の姿に気づくとき、びっくりすることもあるでしょうし、な~んだそれだったら以前から知っていたと感じるかもしれません。

だからといって、自分の人生がすぐに都合よく変化するということでもないのですが、ただ人生を物語のように見ることができるようになるはずです。そこでは、深刻さというものが消えてしまいます。

たとえ、深刻さや苦しみがやってきたとしても、それをいつまでも維持することができなくなるといった方が正確かもしれません。だから、自分はなんなのか?という根源的なことに目を向けて欲しいのです。