不二一元論のこと

全力を尽くすと言う代わりに、100%の力を出すと言っても意味は通じます。なぜなら、100%というのは、一部ではなくて全部という意味だからですね。

この100%というのは、10割とも表現できるし、数字で示せば「1」となります。つまり、「1」というのは全部、あるいは全体性を意味してもいるのです。

「1」というのは、本来数字ではなくて全体性を意味するものだったのです。それは、2や3のない、唯一という意味なのです。

インド哲学には、不二一元論というものがあるのですが、それも2のない1ということを意味しています。サンスクリット語では、「アドバイタ」と言うのですが聞いたことがある人も多いと思います。

注意を自分に向け続けていくと、どこかで人物としての自分がいなくなる地点があります。人物としての自分というのは、一人、二人と数えられる存在のうちの一人ですね。

けれども、その数えられる人物が消えて、何者でもなくなったときに、一瞬にして全体性へと広がってしまいます。全体性とは、空間的概念を越えていることを意味しています。

それが、「1」なるものなのです。古来から人はそれに対して様々な呼び名をつけてきました。もっとも一般的なのは、「神」ですね。

幼稚な神へのイメージでは、優しそうな人物像が浮かんできますが、「1」なるものが人物であるはずがありません。あなたが感じている全体性と私が感じている全体性とは同じ一つのものです。

全体が重複して複数あるということは不可能だからです。つまり、あなたのもっとも根っこにある全体性という意識は唯一であり、それは私の根っこにあるものと同一だということです。

だから、あなたは私であり、私はあなたなのです。その「1」なるものが、地球上にいる70億個の人物と自己を同一視しているのですから、興味深いと思いませんか?