興味を持ってすべてを見る

今年もまた、確定申告の時期がやってきました。毎年、2月も中旬ともなると、慣れない書類作りに悪戦苦闘するのですが、それでも最近はだいぶ要領よくこなせるようになったと思っています。

いつも申告し終わると、もう来年からは大丈夫だと思うのですが、一年経って作業を始めてみると、忘れてしまっていたり、理解していたもののルールが変わったりしていて、また頭を抱えることになるのです。

説明書きを一生懸命読んでも、どうも頭にすっきり入ってこないし、自分の理解力のなさにびっくりしたりするのですが、本当のところは単に興味が持てないということなのですね。

人は、大抵興味を持てないことに対しては、集中力も根気も続かないし、理解力も最低レベルに落ちてしまいます。元々理解力がないというわけではないのです。

逆に興味のあることや、好奇心を持って立ち向かうことについては、疲労が少ないし、時間のたつのを忘れてやり続けることだってできてしまうのです。

好きこそものの上手なれ、という言葉がありますが、上手にできなくても好きなことであれば楽しむことができるのです。それだけでも、心理的な疲労はなくなってしまうでしょうね。

私は長年、何に対しても興味を持つことができないという自覚がありました。いろいろなことに挑戦しても、面白いと感じてもそれが長くは続かなかったのです。

そしてとうとう、興味の対象を探すということを断念してしまいました。それは、本当に楽になりましたね。開き直ったというのか、自分は元々この世界に興味を持っていないということを受け入れたのです。

そうしたら、不思議なことに結果としては自己探求が始まったのです。それは、興味を持つというのとはニュアンスは異なるのですが、それでも何もすることがないというわけでもなくなったのです。

自己探求とは、真理に気づきたいという欲求からやってくるものですが、しばらくの間はそれで毎日を過ごすことができました。今は、ひとまず自己探求も終わったように感じています。

その結果、なんでもよくなったというのか、あらゆることに興味がないという状態でいるのと同時に、すべてを興味深く見ている自分がいるということに気づかされたのです。

前者は自我としての自分であり、後者は本質としての自己なのです。