宇宙は壮大な物語

赤ちゃんの心は無防備で純粋ではあるのですが、意識が曖昧で混沌としていてまだ未熟なのです。それは、人間以外の動物と何ら違いがありません。

動物は、成長してそれなりに賢くなってはいきますが、基本的にはこの意識レベルのまま生きて、死んでいくのです。動物には、自我が生まれることはないと言ってもいいのです。

仮にあったとしても、非常に未熟な自我に過ぎません。それに比べて、人間だけが自分がここにいるという自覚を持つことができるように成長するのです。

周りの親などからの洗脳を毎日シャワーのように浴びることで、肉体を持った自分がここにいるということを思いつくのです。それが自我の始まりです。

自我の発達は言葉の発達と同じものであると言っても過言ではありません。言葉は思考であり、思考によって自分という自覚がより鮮明なものになっていくのです。

そうなると、もう赤ちゃんのような混沌とした意識の状態ではありません。立派な人間の出来上がりです。こうして成長した私たちは、大人への道を進んでいくのです。

さて、これで心の発達は終わりかというと、まだ先があるのです。自分がここにいるという思いつきは、ほとんど奇跡のようなものですが、その先はもっと奇跡的です。

それは、すべてを包み込む自分の本質への気づきです。この気づきを知らずに、人生を終えていく人も大勢いるのですが、それが未熟であるということではありません。

本質への気づきとは、実は成長ではないからです。世間でよく言われている「魂の成長」のようなものとは、まったく異なる次元の話しなのです。

自我のない赤ちゃんには気づけないことなので、脳の発達と自我の発達は必須なのですが、それはある程度で構わないのです。

よほど特別の障害などのあるケースを除けば、気づいていない人はいないのです。ただ、気づいていることに気づいていないだけ、なのです。

本質に気づいても人生はそのまま続くのですが、自分の人生やこの世界、宇宙自体が壮大な物語のように見えるようになるのは、興味深いことですね。