観念すれば無敵になる

人生は、何となくうまく行っている時と、そうでないときがあるものです。どうにかやりくりして、すり抜けられるうちはいいですが、どうやっても出口が見つからないような場合だってあるものです。

もっとも一般的な例では、いやな職場に行きたくないのに、生活がかかっているので辞められないというものです。私もサラリーマンの時代はそうでした。

辞めたいという気持ちと辞められないという気持ちが葛藤を生むのですが、辞めたいが強くなってくればくるほど、葛藤は心を引き裂く力を強めるのです。

そうなると、人は出口のない迷路を右往左往するばかりで、もう解決することは不可能だと思い込んでしまうのです。けれども、本当はそういう時にこそ大切な気づきを得るチャンスなのです。

困れば困るほど、大きな気づきがやってくるチャンスが広がります。たとえば、人は出来る限り頑張ったうえで、もう万策尽きたという状態になったとき、とうとう観念することになるのです。

観念することを知った人は、本当の意味で強者になれるのです。なぜなら、観念するとは、自分の人生を自分の力ではコントロールできないと悟ることであり、その結果もう戦わなくなるからです。

戦わなくなった心は、負けを認めることで自己防衛を小さくしていけるので、敵がいなくなってしまうのです。つまり、文字通り無敵になるので、それこそが強者なのですね。

出口を見つけようとする努力を一度やめてみるのです。そして、自分を迷路の中へと迷いこませた張本人は、実は自分のエネルギーだったと知ればいいのです。

癒しによって、その過去のエネルギーを小さくしていくことができれば、自然と問題は消えてしまうか軽減されていくものです。迷路から何とかして出ようとする原動力こそが、問題を作っていたということに気づいてしまうからです。

やるべきことをやり、あとはただ静かに自分の本質に意識を向けていることです。「何とかして…」という思考を見て、それに巻き込まれないようにしていることができれば、あとは目に見えない力がやってくれるのです。

その見えない力こそ、あなたの本質なのです。