透明なキャンパスを見る

私たちが普通に絵を見るとき、例えば有名な「モナリザの微笑み」を見ているとイメージして、そのすばらしさを味わうことはあっても、バックに隠れている真っ白なキャンパスをイメージすることはありませんね。

絵の場合は二次元ですが、それを三次元にしてみると、その真っ白なキャンパスも三次元ですし、その上に描かれた絵も三次元となります。

それが、私たちのこの宇宙だと思えばいいのです。つまり、私たちのこの世界には、ベースとなる真っ白な三次元のキャンパスがあり、その上にあなたやあなたの住む街が描かれているということです。

モナリザの絵とそのキャンパスは密着していますが、私たちの世界とそのキャンパスも密着しています。モナリザの絵のどの部分を削っても、必ず白いキャンパスが出てくるはずですね。

この世界でも同じことが言えるのです。誰の心でも、思考という表層から垂直に深く深く掘り下げていくと、そこには必ずキャンパスが出てくるのです。

あなたの心を削って出てきたキャンパスと、私の心を削って出てきたキャンパスは同じ一つのものだということは明白ですね。なぜなら、キャンパスは元々一つしかないからです。

心を削るとは、勿論この場合には思考から離れた状態を指します。思考を止めるということを言っているのではありません。あくまでも思考から注意を離すということ。

肉体の眼を使っているだけでは、この世界という三次元の絵を見ることしかできません。肉体の眼は、思考と密接につながってしまっているからです。

今、キャンパスに例えた私たちの本質を見るためには、思考を止める必要も、目を閉じる必要もありません。ただ、注意を今に向けていればいいだけです。

それだけで、いかにそれが優しくて、懐の広い、慈愛に満ちたものであるかを直接体験することができるのです。それこそが、私たちの本質なのです。