結果は自動的にやってくる

子供の頃に、何らかの理由があって自分は取るに足りない人間だと思い込んでしまったら、そのままで生きていくのは至難の技です。

自分のままでは愛されるに値しない人間だと信じてしまえば、何とかしてどんな努力をしてでも、生きてる価値のある人間になろうとするはずです。

その必死さが無防備で正直な自分を抑えつけて、理想とする自分に向かって頑張るわけですね。

けれどもそれはAがBになろうとする不可能なチャレンジであるばかりか、それによってありのままの自分が痛めつけられてしまうのです。

その結果は当然のこととして、抑えつけられていた自分が反撃に転じることになるのです。理想とする社会的な自分から突如として反社会的な自分になってしまうのです。

その時に本人の驚きと自己嫌悪は相当なものになるでしょうね。この一連の流れをコントロールして、別の人生を生きることはできません。

過去の自分の言動を後悔しつづけても、そこからは何も始まらないのです。ここで気づく必要があることがあります。

それは、ある原因が起きて、その後はすべてほぼ自動的に結果が起こりつづけたということ。それを防ぐ手立てはなかったのです。

癒していくということは、そうしたことに深い理解ができるようになることです。悔やむことの代わりに過去の自分を抱きしめてあげること。

結果として起きたことはすべて必然であって、それを変えることはできなかったという事実に早く気づけばいいのですね。