もう怒りは用無し?

幼い子供って本当に天使のように可愛いですね。親としては都合の悪いことをされても怒りが出てくるようなことはあまりないかもしれません。

けれども、ここはしっかり躾をしておかねばと思って、少しだけ怒っている風情を作り込んで叱ることもあるでしょう。

そんなとき、子供の態度があまりにも可愛らしくて、笑ってしまいそうになるのを堪えて、パパ(ママ)は真剣に言ってるんだぞ!というところを見せねばなりません。

それと似たようなことが最近起きるようになりました。相手は子供ではなく、れっきとした大人たちなのですが、怒ってるフリをしている自分に気づくのです。

今日もそんなことがあったのですが、近くのスーパーの駐車場には充電設備が一台分あって、買い物のついでに充電しようと思って行ったのです。

運悪く先客がいたのですが、15分程度待てば終わることが分かっていたので、買い物をしたり車の中でおやつを食べたりしながら待っていたのです。

ところが、充電が終了しているにも関わらず、そのクルマの持ち主が現れず、マナー最悪だなと思いながらも仕方ないので、戻ってくるのを待っていたのです。

やっと戻ってきたと思ったら、すぐにまたクルマから離れていくので、びっくりして「コラコラ!」って声をかけたら、謝るでもなく旦那のクルマなので私は何もできないと言って、またお店の方に行ってしまったのです。

これは持ち主が戻ってきたら、コンコンを説教してやろうと待ち構えているところに、先ほどの家族が3人ほどで戻ってきました。

私の存在を確認しても、お待たせして申し訳ありませんでもなく、ゆっくりのっそりクルマを移動させるだけ。

こんなことは二度として欲しくなかったので、やや怒っている風情を装って、それなりの口調で文句を言ってやりました。

そこでようやくの簡単な謝罪の言葉。正直、怒りよりも残念な気持ちと悲しい気持ちが混じっていて、子供を叱るときのアレを思い出したのです。

なんだかもう本気では怒れなくなっているのが寂しのですが、怒りがやってくるたびにその下に隠されている惨めさや悲しみを見るクセができてしまったおかげで、怒りそのものが用をなさなくなってきたのかなと。

自分の惨めさを見守ることができるようになると、それを隠すためにやってくる怒りは用無しになってしまうようですね。