惨めさと共にいる

以前から一貫してお伝えしてきたことですが、癒しというのは自分の奥に隠し持っている「惨めさ」に気づき、それを逃げずに見ることで進むのです。

日常生活の中で、自分はどんな状況になると惨めだと思い込むのか、そこをしっかり理解することができれば、惨めを隠さずに済むようになるのです。

自我というのは、必ずやあらゆる期待値を持っていて、それに対して現実に起きることとの落差があるときに、惨めだと思うのです。

つまりは起きたことがそのまま惨めさに直結するわけではないということ。常に期待値との比較によってのみ惨めさが作られるわけです。

勝手に惨めさを作っておいて、それがあまりにも悲しく受け入れがたいので、それを何とかして抑圧しようとするのです。

そのときに自動発生するのが怒りという感情です。もしもあなたが怒りを感じたとしたら、そのときには間違いなく惨めさを隠しているのです。

そのことにリアルタイムで気づけるようにすることで、怒りはあっという間に小さくなってしまうはずです。

惨めさは事実ではなく、期待値と現実とを比較することで起きる単なる思考に過ぎないことを理解すれば、恐るに値しないことに気がつくのです。

惨めな自分を抱きしめることで、そこから逃げずに悲しみと共にいるなら、自然と人生が変化して行くでしょうね。