形而上学的な質問をしない

子供の頃、時々「自分はなんでいるんだろう?」といった答えることの出来ない質問が頭の中にやってきたりしていました。

人間は何の為に生きているのだろうか?とか、宇宙というものは、どこからやってきてどのように始まったのだろうか?

神がいるとしたら、それは一体なんなのだろう?とか、真実を知るにはどうしたらいいのだろうか?等々。

こういったいわゆる形而上学的な質問、疑問というのは挙げ出したらキリがありませんが、一つ共通することがあるのです。

それは、自分自身が至福を感じていたり、歓喜のなかに包まれていたりする時には絶対に、そんな疑問は起きて来ないということ。

逆に、何だか不安だったり、悲しかったり、寂しかったりするときに、そういった答えなどない質問を考え出すのです。

今なら、別のことに疑問を持つようにしています。例えば、今なぜこんなに心が乱れているのだろうか?とか。

何をイライラしているのか?なぜあの人の態度や言葉に心が反応してしまうのだろうか?といったことです。

このような疑問を解いていくことには、大きな利点があるからです。それは自分の内側にあるマインドの中を覗くことになるからです。

そこに光を当てることで、否定的なマインドの状態を穏やかな状態へと持っていくことができるからです。

一方で、上述した形而上学的な疑問に対しては、それを考える代わりにすぐに瞑想の方へと向かうようにしています。

だから最近ではそうした疑問、質問がやってくることがあっても全く困らなくなりました。人から聞かれることは時々ありますけれど。