全体性が消えなくなる

瞑想と言うと何となく難しそうで気が乗らなくなるかも知れないので、ただ少しの時間静かに坐していようとするのです。

しばらくするとマインドが色々働きかけて来て、今そこに座って瞑想しようとしてるんだねとか、身体の体勢などのイメージも送ってこようとします。

いつものことなので、それと闘おうとせずにそのままにしておくのです。すると身体とは全く無関係の意識だけが際立ってくるのです。

そうすると身体でもマインドでもない、ただ気づいていると言う状態になって、個人でも日本人でも誰でもない感覚が目立ってくるのです。

あらゆる概念から解放されることで、大きさや形という空間もなく、時間もなくただ在るだけになってきます。

それでも時々マインドが疑いを投げかけて来るのですが、それはマインドが置き去りにされて、消えそうになるのを恐れているからなのですね。

知識が何の役にも立たず、過去も未来も消えて行くと同時にマインド自体も消えそうになるのを恐れて暴れ出そうとするのです。

もしもそうなっていきなり目を開けてしまったら、このプロセス全体が正しい方向に行っていたことを物語っているので、喜んだ方がいいですね。

そうしてまたマインドに呑み込まれたとしても、あの誰でもない感覚は残ってくれるので、また次もすぐにノーマインドの状態へと入って行きやすくなるのです。

そしていつどんな時であっても、概念から解放された全体性の感覚と共に生きる事ができるようになるのです。これに勝るものはありません。