記憶の中の自分は実在しない

昨日のブログで、記憶というのは生きていく上で本質的に必要なものではないという事を書きましたが、それに関連した話題です。

私たちは自分が誰かと言う問いに対して、全面的に記憶に頼っているのです。これまでこう言う人生を生きてきたのが自分だと思い込んでいるからです。

もしも記憶を使わないなら、自分のことをどのようにも説明する事が出来なくなってしまいます。これって何だか変だと思いませんか?

自分というかけがえのない唯一無二の存在が、本質的ではない記憶の中にしか見出す事が出来ないなんて。

記憶とは思考が取り扱う過去のデータに過ぎない一方で、生身の自分は今この瞬間に確かにいると感じているものです。

さてこの矛盾をどう取り扱えばいいのでしょう?それはそんなに難しい事ではありません。記憶の中の自分はただのデータであって実在しない事を認めること。

そしてどれほど表現が難しくても、今この瞬間の自分だけが実在するということを理解するのです。これでは自分とは誰かを説明出来ないのですが、それを受容するのです。

そうして初めて、自分は誰でも無いということに気づく事が出来るのです。それがあなたの本性なのですね。

過去の中のあなたも未来のあなたも共に、ただの思考によるイメージだったということです。ちょっと不安な感じがするかも知れません。

私は物凄く気持ちが楽になって、あらゆるしがらみから解き放たれて、自由な今を生きる事で清々しさを感じる事ができる気がします。