映画館で映画を観ている時、私たちはスクリーン上に映し出された光の反射からなる映像を見ています。そのときにはスクリーンを凝視していることを忘れてしまっています。
たとえ、スクリーンを見ているということを思い出したとしても、スクリーンの白さを肉眼で確認することはできません。そのくせ、本当はスクリーンを見ているだけだということも知っていますね。
この世界の本質、つまり真実についても同じようなことが言えるのです。自分の周りに広がるこの世界を見るとき、そこにはたとえて言えば3次元のスクリーンとしての本質が在るのです。
勿論、肉体の目にはこの空間のありとあらゆるところに満ちている3次元のスクリーンを見ることはできません。映画を鑑賞しているときのスクリーンを確認できないのと同じです。
ただし、そのことに気づいていることは可能なのです。ここを言葉で表現することはできませんが、確かにこの世界は3次元のスクリーン上に現象として顕われたものです。
映画館では、上映が終わり館内が明るくなったときには、スクリーンがその白い姿を表してくれますが、残念ながらこの世界を見ている肉眼では、決して3次元のスクリーンである本質を見ることはできません。
それは、肉眼で見るのではなくて、ただそれ自身であることに気づくことなのです。映画館の話しと、この世界との一番の違いもそこにあります。
そして、映画館では観客がいて初めて映画を上映するということが成立するのですが、この世界には観客はいません。なぜなら、私たち自身が本質であるスクリーンそのものだからです。
この宇宙という空間の中に、あらゆる現象が起きていると思われているのですが、実際には宇宙空間そのものも本質というスクリーン上に現象化しているのです。
最後に、あなたという個人は決して現象化してはいません。自分という個人がここにいるという思考だけが、現象化しているということを見抜くことです。