私たちが真に求めているものは常にここに在る

あるクライアントさんとのセッションで、私たちの本質についてお話ししていたら、突然ポロポロと涙を流された方がいらっしゃいました。ご本人もなぜ涙が出るのか、本当には分かってないかもしれませんね。

私自身も、明確ではないにせよ、真の自己に気づきつつあるようなときに、何の理由もなく感情が上がってきて涙が出た経験が何度かあります。

あれが一体何の涙なのか、本当にはいまだに分かっていないかもしれないですね。ただ、なんというか、ホッとしたような言いようのない安心感のようなものを感じたのは覚えています。

きっと誰もがその表現しようのない限りなく奥深い安心を求めているのでしょうね。そして、それを突然何かのきっかけで感じてしまうと、涙となって心が反応するのだと思います。

ということは、地球上の誰もが心の底で共通して求めているものがあって、それは言葉に尽くせないほどラッキーなことに、初めから叶っていたということです。

それは手に入れるものではなく、理解するものでもなく、ただそれだったということです。真実においては、手に入れるとか、失うということはあり得ません。

ずっとそれ自体なのですから。それはすべてであり、全体性であり、何も無さでもあるのです。私たちは、なんと恵まれた実在なのでしょう。

何度も気づきのようなものを体験すると、その度に感動がやってくるのですが、その感動は所詮感動でしかないということにも気づいてしまいます。

目を閉じて瞑想をしなくても、こうして文章を書いているだけであの感覚に圧倒されそうになります。それに気づいているのは、この私ではないのですけれど…。

本質が本質それ自体に気づこうとしているのです。さすがのエゴもそれには感動を覚えずにいられないのでしょうね。