「不二」の意味

私の名前の「富士夫」は、父親がつけてくれたものと聞いていますが、その由来を小学生のときに初めて聞いてぶっ飛んだ記憶があります。

今から60年近く前のあの時代に、父親が女優の山本富士子さんの大ファンだったので、そこから名付けたのだそうです。何だか、威厳もこれといった意味も何もないわけですよ。

軽~いノリで名前が決まってしまったせいか、私という人物も何となく軽々しいところが多々あるように自覚していますので、名は体を表すというのはあながちウソでもないようです。

ところで、もしも名前の字を変えてもいいなら、「不二夫」にしてもいいかなと思っています。画数が極端に減るので、書くときに楽になるからというのも理由の一つですが、もう一つ理由があります。

それは、「不二」という言葉の本当の意味に関心があるからです。あの著名な漫画家の赤塚不二夫さんもこの字を使っていますね。ペコちゃんで有名な不二家もこの字です。

この、「不二」は「ふじ」と発音してもいいし、「ふに」とも発音するらしいです。つまり、「二つではない」という深淵な意味が込められた言葉なのですね。

唯一無二の無二と同じだと思えばいいのです。「不二」とは、全体性のことを指します。全体は全体なので、一つしかあり得ないわけですが、その一つとは二つ目がない一つということです。

この場合の一つとは、数のことではないということです。だからこそ、二がない一ということです。面倒なので、全体性といったほうが簡単なのです。

「数」というものは、思考によって作り上げられた概念であり、真実とは何の関係もありません。したがって、部分をいくら集めても全体になることはないのです。

そういう意味で、私たちが日ごろ使っている「全体」とは、真実を意味する全体性とは違うものです。残念ながら、私たちは思考によって全体性を把握することができません。

だから、私たちの本質のことを、「あれ」とか「それ」などといったいい加減な代名詞を使って表現することになってしまうのです。

でもそれが真実ですね。私たちは、全体の一部などではありません。私たちこそが、全体性そのものなのですから。